ハングル文字の歴史がいつからなのか、作った人は誰なのかなど、ハングル文字について気になることを徹底調査しました。ハングル文字は私たちにとってあまりなじみのない外国語ですが、勉強してみると日本語と似た単語があったり、発音が同じだったり、共通する点も多くありますよね。
そんなハングル文字の歴史を知れば、韓国語や韓国自体に興味を持つきっかけになるかもしれません。
韓国語を勉強中の人にも知ってほしい、ハングル文字の歴史を解説していきます。
目次
ハングル文字の歴史はいつから?
ハングル文字の歴史は、さかのぼること1443年。李氏朝鮮第4代国王の世宗(セジョン)によって作られました。李氏朝鮮とは1392年から1897年にかけて朝鮮半島に存在した国です。ハングルの「ハン」は「偉大な」という意味を持ち「グル」は「文字」を意味します。
【参考サイト:東京外国語大学】
このハングル文字がいつできたのか、そして作った人が日本人だといわれているのは事実なのか、掘り下げていきたいと思います。
当時の韓国では漢文が使われていた
ハングル文字ができる前の韓国では、中国の漢文が日常的に用いられていました。しかし、漢文を理解できるのは教育を受けている上流階級の人々のみでした。そこで、世宗が一般国民にも理解できる文字として、ハングル文字を作ったのが歴史の始まりです。
ようやく自分たちに使いこなせる言葉ができあがった李氏朝鮮でしたが、ハングル文字が定着するまでには紆余曲折ありました。
漢字教育の廃止にもつながる
ハングル文字の歴史は、朝鮮の国民が新たに使える話し言葉や文化を手に入れただけでなく、朝鮮にとっては忌まわしい過去ともいえる「漢字教育」を廃止するにも一役買いました。
ハングル文字が普及したことで、1968年には韓国の漢字教育が廃止に。日本の統治時代を思い出す痕跡を消したいという思いで、公文書などもすべてハングル文字で表記するようになりました。
ハングル文字を作ったのは日本人といわれるのはなぜ?
ハングル文字の歴史を見てみると「ハングル文字を作ったのは日本人だ」という情報が出てきます。しかし、厳密にこの情報は誤っているといえます。
ハングル文字を作ったのは、先にご紹介した李氏朝鮮国王の世宗です。しかし、錯綜する情報の中にはハングル文字を作ったのが福沢諭吉、そして弟子の井上角五郎であるという説があるのです。
福沢諭吉がハングル文字の使い方を発案
ハングル文字はもともと、漢文を簡単に習得できない民衆のために作られた言葉でした。そのため、エリート層からは「教養のない女や子どもが使う諺文(オンムン)」と呼ばれ、公的に使用することができませんでした。そして19世紀後半、朝鮮に関心をもつ日本人・福沢諭吉が現れます。福沢諭吉は、新しくできたというハングル文字に着目すると「日本語のように使える話し言葉なので、漢字と組み合わせて広めれば文明が開化する」と発案しました。
井上角五郎が福沢諭吉の指示で実践
知の巨人といわれる福沢諭吉の指示を受け、弟子の井上角五郎は新聞を発行するため、京城府という現在のソウルにあたる場所へ派遣されました。
もともとハングル文字は書き言葉ではなく話し言葉だったため、新聞に印字するハードルはあったそうですが、朝鮮人語学者の協力を得て新聞の発行を実現。国王の許可も受け、民衆の手に届くことになったのです。
【参考サイト:産経新聞】
まとめ
ハングル文字の歴史について調査しました。ハングル文字の歴史に、日本人がかかわっているという情報がありました。ハングル文字を作ったのは日本人ではないものの、普及させる取り組みに尽力したうちの2名が、日本人だったということが分かりましたね。比較的新しいといわれるハングル文字ですが、現在では漢字教育が廃止されてもハングル文字のみで国字がまかなわれている立派な言語に。
現代では韓国ブームの影響で、日本人もハングル文字を勉強するようになりました。歴史を知ると、さらにハングル文字について興味が湧きますね!